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インタビューNo.11 訪問リハビリ 狩谷さんインタビュー

中村
   こんばんは。早速ですが、狩谷さんはもともと出身はどこでしたっけ?

狩谷
   生まれは北区十条です。「十条銀座」という商店街はご存知ですか? 物価も安くていいところですよ。篠原演芸場というのがあって、梅沢富美男さんが出ていたところです。両親はまだそこで暮らしています。

中村
   そういうところなんですね。

狩谷
   十条は都心にも出やすくて、20歳位までは僕も暮らしていました。

中村
   以前にずっと野球をやっていたと聞きましたが。

狩谷
   小学校から野球をやっていて、東京都の代表にもなったりして、将来はプロ野球選手になることを夢見ていました(笑)。中学に入ってからも野球は続けましたが、体も大きい人がいたり、もっと速い球を投げる人を見たりして、すぐにプロは諦めました。そのころからスポーツに関わる仕事につきたいと漠然と思っていました。単純にプロスポーツ選手のトレーナーとかに憧れてましたね。

中村
   そこから今の訪問リハまでどんな経緯だったんですか?

狩谷
   お恥ずかしながら、高校生のときにはPT(理学療法士)ということばも知りませんでした。高校卒業するときにどうするかとなって、スポーツトレーナーになろうと思って、健康運動指導士の養成校に入学、2年間学びました。そのときに講師で来られていたPTの方からお誘いを受け、卒業後、青梅にある梅園病院に一度就職しました。OT、PTの助手で、外来のリハビリのお手伝いですね。ストレッチや機械への案内とかをやって、あとは大型免許もとって、職員の送迎、いわゆるあの大きな観光バスみたいなのを運転してましたね。そこには1年半勤めました。でも実際にOT、PTの仕事に触れる事で、この先医療関係の仕事を続けていくうえで、やはり国家資格であるPTを目指そうと思い、1年半で退職、受験をし、理学療法士の養成校に入学することができました。
   今思えば、高校生の頃、もっと真剣に進路について考えれば良かったなと思います。

中村
   狩谷さんはご兄弟は?

狩谷
   3つ上に兄がいますが、世間一般と同じで中学以来ほとんど話はしていないです。えっ、違いますか?(笑)今は何かあれば親のことなどで業務連絡程度のメールはしますね。ただ、仲のよい兄弟を見るとうらやましいですね。

中村
   そうなんですね。今ご家庭は?

狩谷
   妻と子供が二人。長女が20歳で長男が19歳で、二人とも理系の大学ですがお金がかかります(笑)。博滇会にきたばかりのときは下の子が生まれたばかりだったので、さくらナースリーに預けて、植田先生にもお世話になりましたね。妻も包括の事務等、博滇会に3年程お世話になりました。

中村
   狩谷さんが博滇会に来た流れを教えてもらっていいですか?

狩谷
   PTになって、小岩にある総合病院、江戸川病院に入職しました。様々な疾患を経験させて頂きました。当時、整形外科の先生が東芝ラグビー部のチームドクターを務められており、現場にも同行させて頂けたこともPTとして大きな糧となっています。入職後3年目の時に介護保険制度が始まり、訪問看護ステーションが開設されました。そこで病院内から訪問リハ職員を募ることとなり、病院業務と兼務して在宅医療に関わることになりました。在宅リハを経験することでこれまでの価値観が変わりました。それまでは怪我をして病院にきて、リハビリをして家に帰る。若い人はそれでいいんです。ただ年配の人はそうはいきません。また転んで戻ってくるという負のサイクルを見るうちに、だんだんモヤモヤするものがありましたね。なので、生活の場であるその方の自宅でリハビリをするのが本来のあるべき姿なのかなと思って。それで高齢者の生活スペースの中で、その方がどうやったら自分の力を発揮できるようになるかを考えていったら、訪問リハが楽しくなっていったんです。
   それで自分も30歳で結婚して、子供も二人生まれて、さあどうしようと。生活や将来、QOL、福利厚生、いろいろ考えて病院以外の職場、訪問リハでやっていきたいと考えるようになりました。都内の求人も見ましたが、埼玉も探したりしていて、もう覚えていませんが何かの案内で博滇会の求人に行き当たりました。それで一度話を聞いてみたく湯澤院長、当時の事務長にお時間を頂きました。
   院長からは訪問リハをこれから大きくしていきたいという話をいただき、当時法人も上尾くるみを立ち上げ、リハを押していく時期で、世の中的にもリハが盛り上がっていた時期でした。それで博滇会に決めました。

中村
   もう来てどのくらいになりますか?

狩谷
   ちょうど上尾くるみができたくらいの年に来たので、在職20年でしょうか。入職後はすでにいらしたPTと一緒に訪問リハをやったのですが、数ヶ月後に退職された為、すぐに一人になってしまいました。

中村
   あら、大変でしたね。

狩谷
   でもその後半年後に一人、さらに半年後に一人という感じで人が増えて、だんだん訪問リハの形ができていきましたね。博滇会の中で訪問リハの位置付けは介護報酬改定に伴って、体制がいろいろと変化していきました。一時は湯澤医院の所属になった時期もありましたし。先生はクリーニング会館ビルの2階に事務所があったのはご存知ですか? 訪看、居宅、ヘルパーステーションが入ってたんですよ。その後デイリハくるみができたときは、デイリハという名前上、リハ職がいたほうがいいのではという流れで訪問リハの事務所をデイリハくるみに構えた時期もありましたね。その数年後にル・サンク湯澤ができてからは今の事務所に落ち着いています。
   訪問リハは現在、非常勤も含めると12名が在籍しています。退職者もいますが、この20年で20人強の人がいてくれました。割と皆さん長くいてくださって、一緒にやってくれているので、安定した事業所ということになりますかね。

中村
   たしかに落ち着いた部門ですよね。狩谷さんが訪問リハをやっていて楽しいことって何ですか?

狩谷
   20年以上訪問リハをやっていますが、今も楽しいです。リハビリで良くなる方もいらっしゃいますが、そうでない方もいます。訪問でのリハビリにおいて多くの方に共通するのが、利用者様だけではなく家族との関わりが大事だなと思います。気難しい家族もいますが、その関わりも含めて楽しいと思える仕事ですね。もちろん楽しいばかりではなく、「これは、ちょっと、」と思う時もあります。例えば家の中の汚れが目立つ、ゴミ屋敷と言われるようなお宅ですとか、猫などペットの多頭飼いの家とか。大変なときもケアマネさんと協力して、環境を整えたり、その方の生活スタイルを尊重しながら、ADL、QOLを上げるためにはどうしたらいいか、考えていく必要があります。また最近感じるのは、高齢利用者様の40代、50台の同居家族でひきこもりの方が多いな、と印象があります。
   リハビリの場面でトラブルがあるわけではないですが、リハビリ中にいろいろ話を聞いていく中で、お子さんの事に及んでいくと、利用者様から心配のお話が出てくるんですよ。そういった場合、我々リハ職がどのような形で関われるか考えさせられますね。何の医療機関にも繋がっていないひきこもりの人たち。リハビリをしている部屋と襖一枚隔てて、その息子さんがいるわけですよ。リハビリ中はその息子さんも音を立てずに、静かにしているわけですね。緊張感がありますね。そういうときに、何か自分にできないかなとモヤモヤしたりはしますね。

中村
   今の社会の縮図がそこにありますね。

   リハビリは新たな手法とか、学問的な進歩とか、そういう勉強とかはどうしていますか?

狩谷
   (笑)。介護報酬の改定や経営戦略といったセミナーは参加しますが、技術の方は最近はあまり……(笑)。ずば抜けて技術的に大きな変化とかはないと思いますね、私の情報収集不足かもしれませんが。他の職員はいろいろな研修に行っているようです。見習いたいと思います。

中村
   狩谷さんが得意なリハビリとかってあるんですか?

狩谷
   得意と言いますか、歩くこと、歩行に関しては学生時代から興味があり、好きな分野です。片麻痺や対麻痺があり、歩くことが難しい状態でも、介助をしながら足裏を接地して足を出す、体を伸ばす、といった感覚を体に思い出させることで身体機能の向上につながることがあります。移乗動作が介助レベルの方であっても、可能な範囲で立位練習、歩行練習を取り入れています。1,2段階高い目標を設定すると現状の動作がスムーズになる場合が多くありますので。

中村
   みんな歩きたいですよね。

狩谷
   そうですね。本当に歩くにも動機がそれぞれですよね。要介護5の方で両側片麻痺、脳梗塞を繰り返している方がいてですね。その方はもともと2階で寝ていた方なんですけど、歩けなくなって1階で寝起きして生活するようになったんですね。それがですね、2階の部屋からは朝起きると富士山が見えていたんです。それが1階だと見えないので、本人は「やっぱり富士山が見たい!」と。もちろん本人や家族だけだと2階へ行くのは無理なんですが、在宅でのリハビリをしていって、リハビリ中に2階にも行けるようになって。

中村
   それは喜んだでしょうね。

狩谷
   ですね。その方はそこからさらにリハビリも進んで移乗もできるようになりました。在宅はよく維持期リハと言われたりしますが、もう少しできるようになると、ハッと気づいたりすることもありますね。特にOTでは家事動作の中での気づきが大事です。物の置く場所を変えるだけで利用者さんが前を向ける気づきを与えるのがOTの仕事です。

中村
   気づきやモチベーションはとても大事ですよね。

   最後の質問になりますが、訪問リハの管理者としての苦労はありますか?

狩谷
   幸いなことにうちの事業所に来てくれたリハのスタッフはみんなしっかりした方ばかりで、1から10まで指導もしてませんし、その必要もありませんでした。在宅ケアという方向性を多少修正する程度で、あとは個々が考えてやってくれていますね。
   業績は正直波がありますね。本当に人がどれだけいるかにかかっています。
   訪問リハの職員は女性の割合が多いです。ほとんどの方が同世代の子育て世代であり、共感できる部分も多くあると思います。お子さんの体調で急な休みとなる事もありますが、そのような時でも他の職員から「私、この時間空いてるので代わりに行きますよ」と積極的にフォローしてくれるので本当にありがたいです。
   あとは管理者として思うのは、組織としてもっとしっかりしていかないといけないと思っています。現状では私から発信して状況ですが、他にも核となるような人が出てくるといいなと思っています。そうするとエリアマネージャーのような形で小グループを管轄するようになっていくのが理想ですかね。
   今も近隣に訪問リハの事業所はありますが、負けない自負はあります(笑)。
   これからもリハビリに関しては「博滇会」と言って頂けるような存在になれるよう頑張っていきます。

中村
   頼もしい限りです。今日はインタビューありがとうございました。

狩谷
   ありがとうございました。

中村
   お疲れさまでした。

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