大沼
まずは子供の頃のお話から伺いたいと思います。幼少時、どんなお子さんでしたか?
鈴木
一人遊びの好きな・・・と言っても、一人で基地を作ったり、木登り、川遊び、昆虫採集、とか記憶にあります。よく怪我をしていたので母は心配していたと思いますが、良くも悪くも至って普通の子供でした。二つ上の姉がいるのですが小さい頃はよく喧嘩をしていて、いつも負けていました。姉に負けていたからこそ負けず嫌いになったのかもしれません。
大沼
学生時代はどのような部活に入っていましたか?
鈴木
中学時代はバレーボール部、高校時代はハンドボール部に所属していました。ハンドボール部の顧問とは今でも交流があり、当時の仲間を含め時々集まっています。部活動はとても厳しく今ではNGな指導もあり、理解できないこともありました。しかし自分が社会に出て、仕事をするようになったり子育てをしていく中で、今ではとてもかけがえのない時間だったと感じています。仲間を信頼する事の大切さは部活を通して教わりました。恩師の言葉で今でも大切にしている言葉があります。「性格はなかなか変えられない、であれば考え方を変える!」見方を変える事で見えてくるものがあったり、理解できることも増え今でもこの言葉は自分の軸にしています。
大沼
素晴らしい恩師との出会いが今の鈴木さんの素晴らしさに繋がっているのですね。
話は変わりますが鈴木さんの趣味を聞きたいです。
鈴木
楽器の演奏が好きですね。どれもなかなかモノになっていませんが(笑)。休日は音楽を聴きながらウォーキングをしたりもしますね。
大沼
健康的ですね。
鈴木
ええ。あと御朱印集めを以前はしていました。今はあまり回っていませんが。あとは……。
大沼
たくさんありますね。
鈴木
裁縫もずっと好きでやりますね。
大沼
すごいですね。何を作るんですか?
鈴木
浴衣だったり、子供が小さい時には子供服も作ったりしていましたよ。今はぜんぶ箪笥の肥やしになってますけど(笑)。
さっき楽器はあまりモノにならなかったと話しましたが、音楽は好きなのでコンサートに行くのは楽しみの一つです。
大沼
誰のコンサートに行くんですか?
鈴木
スターダストレビューですね。コンサートでのトークがいいんですよ!あと、EXILEとGRe4N BOYZですかね。実家に帰る時は車中でEXILEをいつもかけていたので子供たちには「またEXILE・・・」と言われてました。
大沼
聴く音楽も幅広いですね。
話を戻しますけど、もうお子さんも大きくなられたと思いますが、お子さんが小さいときは仕事との両立は大変ではなかったですか?
鈴木
母子家庭でしたからね。母子家庭になったとき、親には頼らず一人でやると決めました。それでなんとか20年やってきましたね。親に頼らなかったのである意味親不孝なのかもしれませんが、一人で頑張ると決めたので。頑固でしたね。父が亡くなった時は少し親不孝だったかなと反省もしましたね。子育てに関しては、今思えばもう少し手をかけられたなぁと思う事も多いですが、その時は必死で、家事は日々の事以外はやれるときにやれる事をやる感じでした。子供の動きや考えが予想できなくて毎日がバタバタで「あ~人間と話がしたい」と思ったりしたこともあります。
少し大きくなればまた問題も大きくなって、出かけようとしたら子供が溝に落っこちてへ泥まみれになったり、一緒にお菓子を作って!と忙しい時に限ってせがまれたり「子育てっていつ終わるんだろ?」とゴールが見えませんでしたが、今は子供が成長してしまったので随分と楽をさせてもらっています。
大沼
子育てと仕事の両立はほんと大変ですよね。
仕事の話に移りますが、博滇会では、みると、ルサンクデイ、デイホームまみや、人事と色々な所でご活躍されて来ていますね。デイホームまみやの管理者時代には実績を残されたと伺っています。当時を振り返っていかがでしたか?
鈴木
現場での経験しかなく、異動して新たな事業所での管理者でかなり戸惑いましたが、やらない事で後悔するより受けてみようと考えを切り替え引き受けました。異動先のデイホームまみやの職員はただただ大変だったと思います。知らない人がいきなり来て管理者なんて、どう対応したらよいか分からないですよね・・・。それでも職員さんが受け入れてくれたことがとても嬉しかったです。ただ、異動して日が経つにつれて改めて管理者としての知識の低さを痛感させられました。自分一人では何も出来なかったと思います。アドバイスをくれる他の管理者さん、声をかけてくれるケアマネさん、色々な方に様々な方法でたくさん助けてもらい、思い返しても感謝しかないです。
大沼
そんな中での人事への抜擢でしたが迷いはなかったですか?
鈴木
中村先生からお話を頂いた時は戸惑いましたし悩みました。人事・労務の知識が何もなかったので不安しかない状態でしたが、異動の経験をしている自分だからできる事もあるかと思いお受けする決断をしました。
心がけている事は、人事と通所に共通していますが、法人と関わる窓口となっているので、お相手の不安要素を少しでも取り除けるような雰囲気を作れるようにしたいと思っています。
大沼
色々なことにチャレンジしていく精神と原動力はどこから来るのでしょうか?
鈴木
仕事に向き合う姿勢などは父の働き方の影響もあると思いますが、最終的には子供が働く原動力だったと思います。父は自営業で、ほとんど仕事で家には帰ってこなかったんですよ。それで急に夜中に帰ってきて、怒ってたり(笑)。でも仕事に対する姿勢は学びましたかね。とにかく、仕事、仕事。植木のリース業の仕事をしていて、植木を温室で育ててお店に卸してました。昼間は植木、夜は雀荘を経営していて私もアルバイトで手伝ったりもしてましたね。結局父は病気をして、雀荘は閉めることになったんですけど、父が生きている間に雀荘を再開してあげたいというのが私の夢でしたけどダメでしたね。まだ雀荘を開くという夢は諦めてませんけど。いつか近所のおばちゃんたちと一緒にできる雀荘を開きたいと思っています。
今は子供達の協力もあり、以前出来なかった事にチャレンジしたり、好きな事をさせてもらいながら、うまく息抜きが出来ているので頑張って行けるのだと思います。もう子供は二人とも成人して、社会人になりましたので一安心です。
大沼
それはそれは。
鈴木
まだ少しスネは齧られてますが。今は娘はもう家を出ているので、息子と二人で暮らしてます。
大沼
最後に好きなことばとか聞かせてもらえますか?
鈴木
大切にしているのは、父から教わった「ケセラセラ~」とハンドボール部の恩師からいただいた「堅忍不抜」ということばです。
大沼
お父さんはどういう状況の中でケセラセラと?
鈴木
父は仕事に生きていた人ですが、早くに実母を亡くしていて苦労が多かったと聞いています。そういう人生感でたどりついたのが「ケセラセラ」なのだと思います。よく「ケセラセラ」って言ってましたね。
大沼
そうだったんですね。ケセラセラは、なるようになるさ、のケセラセラですよね。堅忍不抜はどういう意味ですか?
鈴木
堅忍不抜。意味は「我慢強く志を変えない」という意味です。高校卒業のときに、監督が一人一人に言葉をくれました。私にくれたのがこの言葉でした。志を変えない、というところは頑固なところもある私には当たっていると思います。お前に足りないのは、これ!と言われているような気がしています。いただいた言葉のように生きられたらいいなと思っています。
大沼
勉強になりました。これからも進化していく鈴木さんに期待しています。
今回はお忙しい中、インタビューにご協力いただきありがとうございました。それでは失礼いたします。