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インタビューNo.6 メディカルケアホーム与野中央 相島さんインタビュー

中村

   ではインタビューを始めさせていただきます(笑)。今回は、博滇会グループの中でメディカルケアホーム与野中央(MCH与野中央)の管理者、また博滇会グループ内の介護部門の教育係をお願いしている相島宏樹さんにインタビューをすることになりました。こうやって話すのも変な感じですね。

相島

   そうですね。よろしくお願いします。

中村

   相島さんは、いつ頃博滇会に来ていただいたんでしたっけ?

相島

   ルサンク湯澤がオープンして、1年後に来たので、もう8年になります。

中村

   どういうきっかけだったんですか?

相島

   元の職場の部下たちがルサンク湯澤に入職して、介護課長をやれる人がいないかと問い合わせがこちらにあったんです。当時前の職場も辞めようかとちょうど思っていたタイミングだったのもあって、こちらに来ました。

中村

   今、おいくつですか?

相島

   40歳になりました!

中村

   おー。この介護の世界は長いんですか?

相島

   高校生の時から福祉系の専門学校を目指して、21歳から介護の現場で働いて、今19年目というところでしょうか。

中村

   高校生のときに、福祉の世界に行ってみようと思ったきっかけは何だったんですか?

相島

   僕、子供の頃からじっとしていられない子で……。机に向かって勉強するより、体を動かす体育系が得意だったんですよ。だから、体を使った仕事がいいなと思ってて。いろいろ考えましたよ。大学に行くと遊んじゃうだろうなとか、大学入って4年後の就活とか考えても、その先にある道に自信もなかったし。あと、車が好きだったので、車の整備士も考えたんですけど。友達に、整備士になったら車が嫌いになるかもよとか言われて。なので、いろいろ考えて介護福祉士がいいかなと。これから高齢化社会で必要な人材になって、頑張ろうかなと。

中村

   福祉系でも障がい者の支援をしたいという方々と、介護をしたいという方々とがいらっしゃいますよね。お年寄りの介護に行った理由はありますか?

相島

   中学時代、おじいちゃんとおばあちゃんが亡くなったんですけど、高校でおばあちゃんが亡くなった時に病院で介護士さんが寄り添っていた光景が印象に残っています。その影響でしょうか。

中村

   そうだったんですね。

相島

   祖父母も実家の市内に住んでいたこともあり、小さい頃はよく遊んでいました。僕、本当に落ち着きのない子だったんですよ。話は戻りますけど、通信簿も2とか3ばっかりでした。体育だけ5! 運動だけは得意でした。小学校とか、40分の授業、座ってられなかったです。ずっともぞもぞしてて、誰かと喋ってたり、描けない絵とか漫画を描いて、ずっと怒られてました。

中村

   なるほど。

相島

   親にもよく怒られていました。受かる高校あんのか!?って。中学はずっとサッカーをやっていたので、本当はサッカーの強い高校に行きたかったんですけど。あんたの頭じゃ無理と言われ、中学でちょっと勉強はしたんですけど……。それに、サッカーの世界も上には上がいるんで……。なので高校は陸上部に転向しました。僕、負けず嫌いなんです。何か成績を残したかった。運動については特に負けず嫌いだった。サッカーは11人しか試合に出れないじゃないですか。陸上なら一種目2、3人が競技に出れるとすると、全体では40人出られるじゃないですか。なので、成績でオール4とれば入学金免除ですよと言われたので、塾に行って頑張りました。もともと集中とかできなかったので、勉強のやり方とかわからなかったですけど、なんとか……(笑)。

中村

   やっとお尻に火がついたんですね。

相島

   そんな感じです。

中村

   入った陸上部はどうでしたか?

相島

   400mをやったんですけど。もともと走るのは地元では誰にも負けなかったけど、こういう高校には速い人がいるんですよ。監督にも400mをすすめられて。インターハイにはリレーで出れました。大変でしたけど、部活のためには朝の5時に起きるのもできましたね。朝も昼休みも授業のあとも、ひたすら走ってました。中学から全国レベルの人たちもいましたしね。陸上の走り方と、サッカーの走り方って根本的に違うんですよ。

中村

   どう違うんですか?

相島

   上に走るか、下に走るか。

中村

   ?

相島

   重心の高いところで平行移動するのが陸上、低いところでするのがサッカー。サッカーの走り方を陸上でやってしまうと、力が分散してしまうので、トップスピードが出ないんです。

中村

   走り方を変えるって大変じゃなかったですか?

相島

   10年以上サッカーをやっていたので、その姿勢が抜けるのに、4、5ヶ月かかりました。最初はぎこちないフォームでしたよ。それでもやり続けていたら、しっくりくるようなフォームになっていきましたね。徐々にタイムも上がっていって。

中村

   充実した高校生活でしたね。今も走ったりするんですか?

相島

   コロナ前はジョギングもしてましたけど、MCH与野中央に行ってからは走れていないっすね。フットサルも30歳過ぎまではやってたんですよ。チーム作ったり、ユニフォームも作ったり。忙しくて解散しましたけど。

中村

   いろいろ熱心にやってたんですね。話を戻してみますね。実際に入ってみた介護の世界はいかがでしたか?

相島

   思っていたのと別世界でしたね。実習には行ったりしてましたけど。社会人としての重みもそうですし、体力にも自信があった方ですが、日頃使わない筋肉、体勢、姿勢。生身のおじいちゃん、おばあちゃんはひとりひとり違います。最初の半年、1年はほんとうに苦しかったです。

中村

   相島さんが最初にいた施設の教育とかはいかがでしたか?

相島

   新人は最初は持ち上げてくれるじゃないですか。春に入って、それが夏くらいになると、だんだん厳しくなるじゃないですか。同期は8、9人いましたけど、1年で3、4人辞めましたね。すごいハードでした。そのときの上司も手厳しい人でした。今で言ったらパワハラ上等みたいな上司でしたね。自分は運動部でもやっていたので、何クソでやれてましたけど。

中村

   当時はどの世界もそうだったですよね。

相島

   でも大変だったのは最初だけで、その後は楽しかったですよ。いろいろ介護のことがわかってきたり、体力もついてきて、日々発見でしたね。利用者さんの変化を見れたり。

中村

   なるほど。

相島

   介護の指導って、教える人の考えに基づいて指導するじゃないですか。そこでAといえばAになる。でも本当はBもあるし、Cも見つけられた!となるのが本当。最初にいた施設はMCH与野中央と同じで24時間利用者さんと暮らすので、全介助で全然喋れなかったりする人が、一瞬「ありがとう」って言ってこちらがビックリ。あ、この人しゃべれるんだという発見。うれしさ。本当にちょっとしたこと。名前を覚えてくれたり。全部が楽しかったですよ。

中村

   そういうモチベーションを保つのは大変ですよね。

相島

   毎年、新人が入ってくる施設だったんですよ。後輩に抜かれまい!というプライドがありましたね。また1年たつと、また新人が入って……。生半可では教えられないという気持ちになりますよね。自分もしっかり身につけていかないとと。ナアナアじゃだめだなと思ってます。

中村

   介護の本質って、相島さんから見るとどういうものでしょうか?

相島

   根本的な姿勢としては、すこやかに和やかに暮らしましょう、のサポート、補助が根底にありつつ、そこから、じゃあこの人にはこういうことをやってあげた方がいいというのに枝分かれしていく。それを実践できるかどうかでしょうか。

中村

   そうすると介護の世界で一人前になるというのはどういう状態ですか?

相島

   質問がなくなることでしょうか。突っ込むところがなくなる。おむつ介助であれば、少しずつうまくなっていって、何も手出ししなくても大丈夫になる。お風呂だと、何に気をつけたらいいかを何も言われなくなって、安全にできるようになることでしょうか。やっていくうちに、一歩先を読めるようになる。ずっとその繰り返しですね。

   1言われて1やれたら、レベル1。

   1言われて2できたら、少し進歩。

   1言われて3できたら、3理解できたら、一人前かなと。

中村

   相島さんが自分が一人前になったなと思ったのはどのくらいのときですか?

相島

   自分は3年目くらいのときですかね。少し不安がなくなったなと。

中村

   今でも不安になったり、迷ったりしますか?

相島

   ありますよ!

中村

   たとえば?

相島

   今の立ち位置。理想は1言って3できるですけど、経験年数が上がれば、1言って5、さらには10返ってこないといけない。僕の経験年数だと、15は返さないといけない。その利用者さんにとって、何がベストなのかを引き出すのが仕事。1個あるべきことも、何パターンも考えて、こうだったんじゃないか、いや10個は出そう!と頭を使っているつもりです。仕事をしていて、それが瞬時にできるようにやっている。

中村

   そういう指導もしているんですね。

相島

   はい。役職がついている人間こそ、できて当たり前。利用者だけではなく、職員に対してもそうです。この利用者はこうだからと決めつけてやるのはどうかと思う。5個10個と出せる引き出しを持てるように。なので、指導する職員に対してもいくつもの方法でアプローチするようにと。課長クラスから相談を受けたりしますが、他にアイデアはないの?と尋ねて、自分で考えさせるようにしています。

中村

   今の博滇会グループの介護の現場は相島さんからみてどうですか?

相島

   もちろんできている人もいるが、中には自分に酔っている人もいますよ。経験でこれはこうだと押し付けてきたり。聞いていて内容が薄っぺらい人もいますし。考える時間があるなら、行動しなよって(笑)。人は楽を覚えますからね。

中村

   医者の私としても耳が痛いですね。医者もこれでいいと思ったら終わりです。常に自問自答が大事ですよね。成長が止まったら、その人は終わりですよね。ちょっとおこがましい言い方になりますが。

相島

   介護は命に直結します。ごはん食べないから、はい終了となると、命を縮めるだけです。だったらハイカロリーのものはどうだろう、量をわけて、時間をわけて、食事をあげることはできないか。やれることはたくさんあります。

中村

   介護はそういう意味で最前線ですものね。今の介護をこうしていきたいとかはありますか?

相島

   こうしていきたい?

中村

   相島さんの理想像というようなもの?

相島

   MCH与野中央の感覚でいくと、ざっくり、いや、あーむつかしいですね。理想はその人らしい生活が送れるように最善を尽くす。職員と利用者さんのいい距離が大事です。行きすぎないアットホーム。

中村

   馴れ合いすぎないってことですか?

相島

   そうですね。利用者さんからすると、思っていることを言える職員と言えない職員がいる。どこかの場面場面の接遇だったり。利用者さんもみていますから。その人の立ち居振る舞い。誰には言えて、誰には言えないというようなことがなくなるような現場がいいですね。

中村

   そうありたいですね。たまに利用者さんが職員に気を使っているとか、聞きますね。

相島

   忙しそうとか、話しかけづらいとか出てくる。ちゃんと話をきける時間をいかに増やしていけるかどうか。おやつの前のちょっとした時間だったり。寄り添える時間、一緒に工作だったり、絵を描いたり。そのほかの時間は現場を行ったり来たりですから。なので、現場に人を増やせば補えるというものでもないんですよ。寄り添おうと思うか思わないか。現場を2人で回しているのが、3人になってもそれは同じなんです。

中村

   熱い話をありがとうございます。本当にそのとおりですね。

           話をまるっきり変えますね。ちょっと相島さんのプライベートの話を聞いてみようと思うのですが、車が好きなんですね。

相島

   ええ、大好きですね。アホみたいに。

中村

   どんな車に乗ってきたんですか?

相島

   最初はスカイラインのGTRです。

中村

   王道ですね。

相島

   それからはアメ車ですね。トラック系、SUV、セダン、いろいろ乗ってきました。10代20代は1年半くらいで乗り換えるペースで、10数台乗りましたね。

中村

   !!

相島

   給料全部車に注ぎ込んでましたから(笑)。

中村

   すごいですね。

相島

   今思うと馬鹿だなと。妻の車も軽からベンツにして、次はBMWにしようかとかわけわかんないことしてました(笑)。家を買えるんじゃないかって。

中村

   今、家は?

相島

   もちろん賃貸! ははははははは……。

    でも買った車をカスタムして、賞をとったりしたこともあるんですよ。400万円の車体に、600万円の改造費。

中村

   合計1000万円! アホですね。

相島

   ですよね。必死に働きました! 若かった!! 自分のお金は自分で使っていいかなって。今は趣味もないですけどね。

中村

   今は何に乗ってるんですか?

相島

   エスティマです。姉の形見です。

中村

   そういうばお姉さん若くして……。

相島

   そうなんですよ。34歳で乳がんになって、39歳で亡くなりました。

中村

   本当に若かったですね。

相島

   そうなんですよね。姉は夫にも迷惑かけないようにと、亡くなる前に離婚もしましたしね。

中村

   そうなんですね。随分考えのはっきりした方ですね。

相島

   相手にも最後の自分の姿とかも見せたくなかったんじゃないですか。

中村

   なるほど。そのお姉さんの車を大事に乗ってるんですね。

相島

   そうなんですよ。でも来年車検なんで、次の車はまた遊びたいなと。

中村

   (笑)。最後に、これから介護の世界に入ってくる人たち、また今介護の現場で頑張っている人たちに向けて一言ください。

相島

   最近では、介護の仕事のキャリアパスも明示され、介護業界のステータスになりつつあり、国家資格としても信頼度が高くなり、『信頼される仕事』となっています。

中村

   介護の仕事も少しずつその在り方も変わってきていますね。

相島

   そうですね。そして高齢者に日々関わっていくと、介護される側と時間を共有しながら、その人の生活の一部に触れて、それまでの自分の価値観では見えてこなかったことを人と深く関わることで知る、考える、共感する、人間として成長でき、人を支えて支えられる仕事であると思います。介護は人間相手の仕事なので、実際に介護をしていくと利用者から怒られたり苦情を受けたりすることもあります。介護の仕事をしていく上では、人と触れ合うことが好きなだけではなく、どんな人とでも笑顔で接することができるコミュニケーション能力、自分の気持ちをうまくコントロールしていく必要があります。

中村

   どの仕事でもそうですが、なかなか笑顔を保つのは大変ですね。

相島

   さらにはですね、利用者や家族の話しに耳を傾け、どんな助けを求めているのか、どんな痛みがあるのかなどを相手の気持ちに立って考え行動する事が必要です。特に言葉が不自由な人や認知症の人などは、うまくコミュニケーションを取ることができずに苦労する場面もありますが、そんなときでも想像力を働かせ「どう介助されたら楽に動けるか」「どんな風に接してもらうと嬉しいか」など相手の気持ちにたって考えられる事が大切。それと同時に、ただ寄り添うだけではなく、冷静に状況を判断しアドバイスしたり、客観的に物事を見つめたりする力が求められます。

介護をしているとどうしても利用者やその家族に感情移入してしまいがちですが、介護のプロとしては常に冷静な判断が必要です。人のために役立つことを感じられる仕事でもあり、利用者やその家族から「ありがとう」と言われたり、頭を深々と下げられたりすることが多くあります。本当に困っている人の役に立てていることが感じられたとき、感謝の気持ちを伝えてもらったときは、介護の仕事にやりがいを感じる瞬間であり、新たな発見や充実感、人として自分自身も成長ができる事です。

その反面、挫折や苦悩を感じる時期が必ず訪れます。

中村

   というと?

相島

   利用者の方の生活を支える大切な仕事ですが、毎日は同じ仕事の繰り返し、どれだけ優しく利用者に接しても、介護度が上がっていったり認知症がすすんでいく利用者を見ていたりすると「苦労しても報われないのではないか」など、目に見えた達成感を味わうことはなかなかできません。時には愚痴をこぼしたい時、弱音を吐きたい時は誰にでもあることです。
心に溜まっているものを吐き出して、心を軽くしてはどうでしょう。言葉に出していなくても、言葉に出せなくてもあなたの介護を受けている方々は、あなたにいてほしいと思っているはずです。今や、介護の仕事は日本で一番重要な仕事、でも一番重要なのは「あなた」という事です。

中村

   熱くて長い一言、ありがとうございます。

相島

   (笑)。だいじょうぶですか、こんな偉そうなこと言ってて。

中村

   もちろん! 貴重なインタビューをありがとうございました。

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