中村
こんにちは。今回は職員さんのヨガ教室をお願いしている菊本一美さんです。コロナ前はデイリハくるみでヨガをやったり、アロマハンドトリートメントの講習を開いたりしていただいていましたが、このところはオンラインでお願いしています。菊本さんの人生の進み方も見ていてとても素敵だなと思い、今回インタビューをさせていただくことにしました。今日はよろしくお願いいたします。早速ですが、今はヨガの先生やマッサージを仕事にされていますが、小さい頃は何になろうとかありましたか?
菊本
特には無かったんです。それよりも、育った環境が田舎だったので早く家を出たい!東京に行きたい!という思いや独立心が強かったですね。その後、将来を考えた時に美容の道に進んでみたいと思うようになり、地元の高校を卒業後に東京の美容専門学校に行き、ヘアメイクさんになることを目指していました。
専門学校を卒業してからは念願のメイクの仕事に就きました。もう20年以上前になるのですが、青山や六本木、新宿、赤坂、日比谷など当時では先駆け的なクイックメイクアップサロンで、眉カットやメイク、メイクレッスン、フェイシャルなどを行なっていました。毎日すごく楽しかったですよ。
でも、メイクの仕事って兎に角、その時の流行に敏感でなければいけなかったり、常に追いかけていく感覚があったんですよね。なんかそのスピード感とか、世界の誰かが作った流行りに合わせる事とかが、だんだん違和感を感じてきてしまって。
その中でも一番感じていたのは、「いくら綺麗にメイクをして表面的に美しく着飾ってみても、その人の内面性や心の純粋性、中身が伴なっていなければその美しさは偽物の美しさになってしまう」。この本質的な問いがまだ若かった自分自身にはメイクの世界では拭いきれず、好きだったけれど一旦離れる選択をしました。
夢描いていたメイクの世界がぽっかりと無くなってしまい、そこから自問自答の日々、私の人生の模索が始まりました。自分が何をしたいのかが分からなくなってしまって、しばらくの間休みをとって色んな場所に旅に出ました。
旅から戻って、その後も美容関係の仕事に就くものの、自分の中でのモヤモヤ感とか、自分自身との不一致感をずっと感じていて、気づいた時にはメニエール病という診断を受けるまでになってしまったんですね。

中村
メニエールになってたのは知らなかったです。
菊本
そうなんですよ。でも、病院に行っても結局は「原因はストレスですね」「薬を出しますのでこれで様子を見ていきましょう」しか返ってきませんので、自分でどうにかするしかなかったんですよね。
そこでとにかく何かしないとと思って、色々検索する中の一つに、当時少しずつ日本でも流行り始めていた〝ヨガ〟を見つけたんです。今ほどヨガスタジオの数は少なくて、東京に数ヶ所あっただけでした。
リフレッシュのため、運動のためと思ってヨガスタジオに通いました。
それが全ての始まりでした。
びっくりですよ。ヨガをして、最後にあるシャバアサナという休息のポーズ。
その時に初めて自分自身と深く繋がる感覚を体験したんです。
ただヨガをして寝転がっているだけなのに、今までに感じたことのない大きな安心感や喜びに包まれている自分がいたんです。自分が自分でいることも、今起きていることも全てがそのまんまで大丈夫。という大きな安堵感でしたね。
更には、ヨガを通してその空間全体に広がっている温かさや愛、人と人との愛のある繋がり、言葉にならないその感覚こそが、私が求めていた美しさそのものでした。
クラスに通う中である時先生に、「私ヨガをもっと知りたいんです」と尋ねてみたんです。というのも、ヨガスタジオでは運動や呼吸法を教えてもらえるものの、そもそもヨガって何なのか?やヨガの深い話まではする機会はなかなか無かったんですよね。でも私はそれが知りたかった。あのシャバーサナで感じた温かいあの感覚は一体何なのか…。
すると、当時の先生が「ヨガのティーチャートレーニング」があるよと教えて下さったんです。でもヨガの先生になるなんて全く思ってなかったですし、そんなの無理無理!!と思った反面、自分の性格的にも何事も飛び込んでみて自分の心と体で経験しないと気が済まないタイプだったので、先生になるためではなく自分自身の為にそのトレーニングに参加する事を決めました。
中村
そのときにインドに行ったんですね。
菊本
そうなんです。他の参加者はヨガの先生になりたい人ばかりでしたね。ヨガのコミュニティなので、みんなとても愛のある素晴らしい方たちばかりで、本当に一人一人の心がピュアで優しくて愛に溢れていて感動したんです。
トレーニングの最後にはインドで終了式があったんですけど、その時先生に「とにかく早く教え始めなさい」と言われました。「人に教えることが一番の自分の学びになるから」と言われたんです。確かにそうだ!!と思い、卒業してその2ヶ月後には知り合いを集めて表参道のスタジオを借りてヨガのレッスンを始めてました。
中村
先生の言葉に素直に従ったんですね。
菊本
はい。それが26歳のときでした。ヨガって日本では一見華やかなイメージがついてしまっているんですけど、実際、本気でヨガを学んできた人たちって、〝苦しいからこそ、どうしようもなくて救いを求める中でヨガに出会った〟って人が多いと思うんです。言ってしまえば、ドロドロですよ(笑)。
中村
ドロドロ(笑)。
菊本
心も体もボロボロの自分から、ヨガという一筋の光に救われてきた経験があるからこそ、伝える側に立っているんだと思います。 実はそれとほぼ同時に母のこともありました。

中村
お母さまは大変でしたよね。
菊本
母は53歳という若さで「若年性アルツハイマー型認知症」を発症しました。
中村
びっくりですよね。53歳。私より若い!
菊本
母の場合、若かったのもあってあっという間に要介護5の状態になりました。
家族で自宅での介護を3、4年頑張りましたけど、流石に家族もメンタルが厳しい状況に追い込まれていって、最終的には特養にお願いすることになりました。
家族だけで介護をしてきた時期っていうのが本当に大変でした。
でも、周りにこの辛さを共有できる人も居なかったですし、介護の話とかって経験していないとなかなか理解が難しいじゃないですか。そんな中で唯一ヨガの仲間には全てをさらけ出して、ありのままで自分でいられたんです。
中村
なるほど。
菊本
ヨガのレッスンで、「サットサンガ」というのがあって。サンスクリット語でサット(真実、純粋なもの)、サンガ(集まり)という意味です。
参加者が一人ずつ、今感じていることや悩み、不安、自分の内側にある様々なな感情をみんなの前で語り、すべてをさらけだす場なんですけど。心に溜まっているものを安心できる人たちの前で言葉にして身体の外に出してあげることで、感情の解放が起きるんです。
インドでのサットサンガの時、人前で泣くことなんてない自分が大号泣したんですよね。インドに行った時にはすでに母の病気のこともあったので、感情をコントロールできないくらいにさらけ出すことができた初めての経験でした。そんな中でも、温かいヨガのコミュニティの人たちに何度も心救われ、それがあったから何とか立てていた感じです。
中村
そうだったんですね。ヨガがあったからこそなんですね。
話は変わりますが、ヨガ以外にもマッサージの仕事もしてますよね。
菊本
そうなんです。先ほど話していた自分探しの旅をしていた時期に、世界を旅する中で出会ったものの一つにフィリピンのセブ島で受けたヒロットマッサージというものがありました。ヒロットは元々はフィリピンの土着のもので、妊婦のケアのためのマッサージとして始まったものなんです。マッサージだけではなく、ヒーリング、エネルギーの概念をも含めたケアの方法なんです。温かいココナッツオイルでのマッサージがまたものすごくよくて。
日本に帰ってからこのヒロットマッサージについて調べ、スクールに通って手技を取得しました。そこから、ヨガとマッサージを並行してお仕事していました。その数年後に働いていた都内の一軒家サロンで美菜先生に出会いました。
当時そのサロンにお客様として来て下さっていたんですよね。
中村
なるほど。そこが出会いだったんですね。
その後のお母さまはどうなりましたか?
菊本
最後は介護施設から病院に移っていました。最期を告げる病院からのお知らせが真夜中だったのもありたまたま私が受けることになって。その時の急な知らせがあまりにも衝撃的で恐怖が頭にこびりついて、毎晩眠れなくなってしまい半年間くらい不眠症にもなりました。
結局、59歳という若さで母は亡くなってしまったっんですけれども、ヨガの考え方で輪廻転生という生まれ変わりの死生感をその時には学んでいたので、何事にも意味があり、悲しいだけじゃないんだと理解することができましたし、この経験を必ずプラスに変えていくんだと自分の中で強く決意しましたね。
これまでの経験がなかったら、平々凡々平和でヨガにも出会っていないでしょうし、当時は本当に大変だったんですけれども、だからこそ出会えた人もたくさんいます。この博滇会との繋がりもそうですね。
中村
なるほどなるほど。そこから博滇会とつながっていったんですね。
菊本
はい、美菜先生から博滇会の職員さん向けにヨガをやってもらえないかというオファーを受けたのが7、8年前ですかね。土曜日に「デイリハくるみ」で開催してましたね。その後コロナ禍になって、今はオンラインでやってます。
中村
それからまた新しいことも始めてますよね?
菊本
ヨガインストラクター、セラピストとしてもう1段階成長したい、チャレンジしたい、新しい世界に飛び込んでみたいという思いで、外資系のホテルスパでのお仕事も始めました。世界中の方々がお客様なので本当に刺激的な毎日です。
中村
よくいろいろチャレンジしますよね。
菊本
あまり物事を怖がらないんですよ。死ぬのも怖くない。それより、知りたい!体験したい!が勝つんですよ。知識を詰め込んだだけの勉強だと私は納得できなくて。自分でやってみて、自分の心で感じてみないと気が済まないんです。(笑)
中村
死ぬのが怖くないってすごいかも。
菊本
だって生きる方がよっぽど大変ですから!!(笑)
これまでの色んな経験や人との出会いを通して、より深い理解、愛と知性を持って生きていきたいなと感じています。
今ある目の前の当たり前こそが幸せなんだなぁと日々感じながら、自分に出来ることを精一杯に丁寧に生きていきたいですね。
中村
今日は長いインタビュー、ありがとうございました。
菊本 こちらこそ、ありがとうございました。引き続きよろしくお願いいたします。
中村
こちらこそ博滇会のヨガクラス、よろしくお願いいたします。
