中村
いきなりですが、小幡さんはもともと出身はどこでしたっけ?
小幡
母が山形で里帰り出産しましたが、ずっと埼玉です。
中村
兄弟はどなたがいらっしゃいますか?
小幡
姉がいます。いわゆる「褒められる出来のいい姉と元気な妹」の妹が私です!(笑)
中村
(笑)
小幡
小学生の頃、勉強は好きじゃなくて、外で遊ぶのが大好きでした。一輪車、スケボー、竹馬、サッカー、バレー、バスケ……。学校が終わった後に、また校庭に集合して遊ぶ。体を動かすのが大好きで、中高は陸上部に入りました。
中村
なぜ陸上部を選んだんですか?
小幡
仲のいい子が陸上部に入る流れで(笑)。小さいころはあまり物事を考えず、流されるタイプでしたね。将来とかもドラマや制服で、婦人警官とかCAとかになりたいって思ってました!
中村
そうだったんですね。それがどうしてこの福祉の道へ?
小幡
高校三年生の時、担任の先生がリハビリや福祉の道を勧めててくれました。福祉の事は全く知らなかったのですが、進路本やボランティアをして進んでみようと思いました。学校もいくつか教えてもらい、ホームステイがついている専門学校を選びました。
中村
ホームステイに釣られたんですね。
小幡
そうです(笑)。夏休みにオーストラリアに行き、とても楽しかったです。親には英語の勉強もするといったのにで、日本語が話せるホストファミリーの家に友達と二人セットで2週間ホームステイしました。
中村
楽しそうですね。一番なにが楽しかったですか?
小幡
オーストラリアの街並みやスーパー、コアラを抱っこしたことです。ファミリーと会話がつながらず辞書や身振りで伝え、やっぱり英語を勉強してこればよかったと後悔も。福祉の学校にも通いましたね。そこも通訳がありました! 施設見学とかもさせていただいて、カーテンやベッドカバーも花柄で高級感がありました。当時はまだ1年生だったので、日本の施設も一か所しか知らなくて、日本でいう有料老人ホームだったのかな?と今は思います。とにかく初めての事いっぱいで楽しかったです。
中村
若い時はそんなものですよね。
小幡
2年の専門学校を出て、介護福祉士がとれ、20歳で特別養護老人ホームに就職ました。そこは6年間勤めました。利用者さんにいろいろやってあげたいことがあっても勤務時間では難しくて……。夜勤明けに売店に連れて行ってあげたり、夜勤前にネギトロ巻きやカップラーメン、温かい靴下など頼まれて買って行ったりもしました。毎日家族以上に一緒にいるのに家族が面会に来ると涙を流し、やっぱり家族に勝てないなーなんて感じていました。毎週末に居室の掃除をしてくれる息子さん、毎日夕食時に来て食事介助をしてくれる娘さんもいました。ケーキや飴を作ってきてくれる家族など感謝されればされるほど、もっと頑張らないといけないと苦しい時期もありましました。
次に小学校の空き教室を使った自立の方が多いデイサービスに異動して2年半勤務しました。毎日楽しんでもらえることを考え、スケジュールを組んだりゆっくり話したり小学生や先生との交流も毎日。入所施設とは全然違う働き方、でした。24時間の施設入所はこれで終わり!がなく続きますが、デイサービスは家に帰られるし、家族に引き継げる。
中村
医者もそうですね。外来医と病棟医。病棟医は家に帰っても明日病棟にいけばまたその患者さんがいるので、ずっと患者さんのことを考えている感じですが、外来医は一応区切りがありますよね。
どうして博滇会を選んだんですか?
小幡
ケアマネの資格を取っても、そのままケア職を続けていましたが、在宅のケアマネには興味があり、先輩に博シン会で募集していると聞き、ケアマネが多いし、規模も大きいからいいと思うと教えてもらったのがきっかけです。
中村
なるほど。
小幡
当時はまだ20代でした。(笑)。事務所はクリーニング会館でした。
中村
聞いたことあります!
小幡
当時のくるみにもケアマネは8人いました。プライエボーリ湯澤ができたときに、プライエボーリくるみに4人異動しました。その後、産休、育休、非常勤、時短(35時間常勤)、常勤と法人の制度を利用させてもらいました。そして長男がさくらナースリーで大変お世話になりました。のびのび色々な経験をさせてもらいました。おたまじゃくしやカエル、ザリガニを捕まえて持って帰ってきたり、散歩や木登りしたり、家族では経験させてあげられないことをたくさん。長男は“さくら”が大好きで。いつも楽しませてくれる先生方に感謝して安心して仕事をすることができました。
中村
すごいですね。法人としてはありがたい限りです。ケアマネの仕事が向いていると思いますか?
小幡
向いているか考えたことはないです。ケアマネを20年以上続けてこれたのは、優しい先輩たちに出会え、プライエボーリくるみだったからかもしれません。プライエボーリくるみのみんなは、性格も価値観も得意も不得意も皆違うけれど、理解し、受け入れ、忙しい時でも情報提供や気遣いなど協力し合っています。また法人管理者さん、相談員さん、スタッフさんの理解や協力もありました。今でも忙しく、残務に悩まされますが何とかこなしてこられました。今でも悩んだ時は、みんなに相談してます。一人では解決できなくても、みんなの知恵が集まると先に進めます。
中村
一番大変だったことはなんですか?
小幡
コロナ感染が始まった時期と息子の反抗期が重なったときですかね。
あの当時は本当に毎日不安で辛かったです。コロナの心配と息子の悩み。何のために生きるのか?何が違ったか?どうすればよいのか?と毎日悩んでいました。(笑) 今ではその悩みは減ったけど、毎日とっても忙しいです。法人が求める目標が高いです…。利用者さんは、当たり前ですが体調も崩すし、ADLも希望も変化します。それに対応しながら、新規と書類に必死です。ひとりひとりの利用者さんに、もっと時間をかけたい思いがあります!次につながるよう話し事務所に戻ってきますが、事務所に戻ると電話のメモがいっぱい。(笑)
中村
外来の診察もゆっくり話を聞いてあげたいと思いながら予約がいっぱいですよ。
一人ひとり、ゆっくりきいてあげると夜中までかかってしまう。
小幡
利用者さんや家族が「ありがとう」と言ってくれて、大変な方が、ちょっとでも生活しやすい環境や楽しみ意欲が出た時、健康的に表情が明るくなったときは嬉しいです。利用者さんや家族に労ってもらっていると感じることも。人の役に立てること直接感謝してもらえる職業は幸せと思っています。
中村
管理者としての苦労はどうですか?
小幡
大変と感じることもありますが、管理者を続けられるのは、みんなが一生懸命で、協力と理解があるから続けられています。みんなが勤務時間内で多くの利用者さんの対応ができるように頑張りたいです。みんな明るく工夫をしながら頑張っているので感謝しています。
中村
小幡さんはいつも私が管理者だなんてっておっしゃっていますが、失礼な言い方かもしれませんが、ご自身的にはリーダーらしくなった実感はありますか?
小幡
変わってないですね(笑)。リーダー的器でもないし、能力もないと思います。でも、みんなが理解してくれて、協力し頑張ってくれるので続けられています。ただ管理者になり、他事業所の管理者さん達の立場や考え方を理解しようと思うようになりました。理解してほしいと思うことも。(笑)
中村
小幡さんだからみんながついてきてくれているのでは。
小幡
いえいえいえ……。
中村
仕事以外は気分転換とかもできていますか?
小幡
毎年、年末年始は、母の実家の山形に息子と行きます。年末蔵王のペンションに泊まり年始に鶴岡の実家に移動し正月を迎えます。従弟が面倒見よく、従弟の友達家族や、従弟家族、20人以上が集まってワイワイしています。私はスキー、息子はスキーよりスノボーのほうが楽しいと変更しました。
中村
息子さん、一緒にいってくれるんですね。
小幡
息子のほうが好きで。私と滑るのが楽しいのでなく、スキーやスノボーが好きで、従弟や同世代の子たちと楽しく滑っています。(笑)。
中村
ふだん休みの日は?
小幡
仕事の残務をすることも(笑)、家事に、息子のサッカー応援など。最近は疲れるので、家でゆっくりする時間も作り、コーヒーを豆から手で挽いてソファーでNetflix見ながら過ごす時間も作っています。
中村
おお、優雅ですね。
小幡
あ、でも豆とかにこだわりはありません(笑)。その時の気分で購入。
中村
自分で挽くのがいいんですよね。
小幡
そうです。あとホームベーカリーを今年買いました! 一度プライエには作って持っていきましたよ。以前息子に、「お母さんは見ていると夢も希望も持てない」と言われたことがあって。仕事では毎日、楽しいことも嬉しいことも多々あるのに、家では楽しそうじゃない?と。家でも楽しもうと思って、やりたいこと欲しいものを買ってみました。
ソファーでNetflix見ながらパンが焼けるのをコーヒー飲んで待つ。(笑) 流行りのアサイーボウルを作って優雅な美味しい時間が好きです。そんな週末は少なくバタバタしていることが多いですが、今まで出会った方々と今の環境に感謝し、日々の生活を楽しむようにしています。
中村
楽しそうですね。いろいろお話をありがとうございました。インタビューお疲れ様でした。