生き物の活気が盛る清明。
七十二侯では「玄鳥至(つばめきたる)、「鴻雁北(こうかんがえる)」、「虹始見(にじはじめてあらわる)」が含まれる。鳥のことや空のことと、どれも目線をあげて感じられる変化で、すべてが生き生きと、すがすがしい季節である、と。今年の自分は果たしてどれだけ空を見上げて過ごしただろうかと、ここ1か月ほどの自分を風景の中で俯瞰して思い馳せてみた。
3月から4月にかけては、日本は新年度に切り替わる時期であり、様々な社会構造の切り替わりについていくため、構造の成り立ちについて考えることが多い。「そもそもどうしてこういった制度があるのだろうか」、「なぜ今まで○○だったのが△△になるのだろうか・・・」といった具合だ。政府が指し示す方針や説明について読み想像してみるが、想像の隙間が埋まらず、さらに参考資料、キーワード検索…などしていると、そのうち頭から煙が出てしまい、ギブアップ終了、となる。新型コロナの流行が始まって以降、社会の変化と制度の理解のスピードはとても速いと感じるし、情報量も多いし情報伝播のスピードも速い。
SNSというメディアが出現して以降、無料かつ個人で、何のツテ、人脈、所属組織、ノウハウ等も持たずに広告・広報活動ができるようになった。個人が何の権力を持たずとも周囲に影響を与えるということが可能になったうえ、ここ数年の新型コロナでの隔離政策等の影響も相まって、社会の構造は本格的に、不安定・不確実・複雑・曖昧なもの(Volatility/Uncertainty/Complexity/Ambiguity、略してVUCAの時代と呼ぶ)に突入したと感じる。世界的には2016年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で使用された言葉で一気に認識されたようだが、私個人の生活においては今まで「トレンドなのかな」という程度だったところ、去年から今年位にかけて一気に肌身に染みている程度にまで身近に感じられている。それは私がこの話の出だしに書いた、制度を理解するための説明書などの様子だったり、または、買い物や散歩の中で感じる人や街の様子だったり、物騒な事件の背景であったり、それらの一つ一つの隙間を埋め尽くすSNSでのコメントの質・量の中であったり、様々なもののなかに、VUCAの匂いがする。
不安定、不確実、複雑、曖昧な時代に、いったい何を頼りに生きていったらよいのだろう。真逆の時代を生きてきた私はすぐに「安定」「確実」「単純明快」な正解を知りたい欲求に駆られるが、そのヒントも古い視点ではとても曖昧模糊とした手触りである。いろいろと調べたところ、どうやらそのカギは私たち一人一人が持つ「非認知能力」にあるという。非認知能力とは、自己効力感、度胸、レジリエンス(自己回復力、復元力、緩衝力、適応力などと訳される)、自発性、粘り強さ、楽観性、好奇心、共感性等に代表される心の特性である。そして、この非認知能力が、①新しい価値を創造する力、②対立やジレンマを和解させる力、③責任を取る力のもととなり、VUCAの時代を生きる人生を豊かなものにしていくようだ。
ここまでくると、VUCAの時代は、それ以前の時代の積み残しに立ち向かう時代のように感じられてきた。二項間対立的な価値観やナンバーワン的思考に陥らず、様々な視点で充実感を感じていくことは、今までの時代でもずっと課題であったはずではないか。私個人の人生を振り返ってみても、ずっと古くから悩まされてきた、懐かしい悪友のような疑問ではないか。精神科医療でもお馴染みであった、VUCAや非認知能力が引き連れるたくさんのキーワードを前に、ついに新しい時代に向かって見えない扉に向き合っているような予感がした。
博滇会理事 湯澤美菜