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<さようなら こんにちは>

 無事、今年も「立春」と出合えた。

 七十二侯では「東風解凍(はるかぜこおりをとく)、「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」、「魚上氷(うおこおりをいずる)」と。それまで一面を覆っていた真っ白い冬の気配が、三寒四温の生暖かい風の拍動に押されて去っていくのを感じる。残る寒さは濃縮されて厳しく爪痕を残そうとするが、春も負けまいと優しく強く私たちを撫でていく。大寒から立春にかけては、冬の風と早春の花や風の匂いが日々忙しく織り混ざり、嗅覚も賑やかしてくれる。

 年末年始というのは仕事も息を止めて全速力で駆け抜けるほど立て込むせわしなさで、抜け殻のように正月休みを過ごすともう世間では新しい年が始まっており、私の感覚的には、毎年この時期はやっとやれやれと新しい年を噛み締めるような時である。また、私は寒さが苦手なので、立春で春の気配が強まると、体感的にはやっと肺が広がって深呼吸ができたようにホッとする。立春は24節気のうち最初の節気にあたり、旧暦では新年に当たるため、中国や韓国ではこの時期が文化としては新年にあたるそうだ。

 年を越し、立春を迎え、大きな1ページがめくられる。前のページに書いてあった数えきれない出来事、どんなに忘れたくても忘れようもないような出来事も、この優しく強い季節の変わる力で毎年のように不思議と僅かずつ記憶の中でかすんでいく。「絶対!」と踏ん張り、迷いなく線引きした思い出の輪郭線でさえも平等に、時間の力によってやがて心の中で柔らかく少しずつ角が削れていく。

 私は10代の終わりに、司馬遼太郎さんの『21世紀を生きる君たちへ』という随筆を読んだ。その中に、「鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、大切にしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。男女とも、たのもしくない人格に魅力を感じないのである。」とあった。

 私が高校の頃憧れていた女性は山口美江さんやアナウンサーの小宮悦子さんなどで、比較的近い世代の日本人の女性には憧れるロールモデルがいなかった。彼女達には、他の女性と違い、寛容さや自立している感じがあったのだ。そういう訳なので私はこの司馬さんの文章で、自分の思いを社会の大先輩から「あんたは間違ってないよ」と肯定してもらったように感じた。私が幼少期から憧れてきた人は、実在でも物語の中でも、男女関係なく、賢く寛容で、自分に正直で一歩踏み出す勇気を持った人が多かった。(といいつついきなり人間ではないが)オオカミ王ロボ、メリー・ポピンズ、ヘレンケラー、一休さん、ダライ・ラマ14世などなど…本の世界の大切な心の友達である司馬遼太郎さんから、21世紀に生きる私(達)への大切なメッセージ。それ以来私は今も変わらず、頼もしい人格を持ちたいと思っている。しかし実際は、現代の日本に生きる女性の私にとって、司馬さんに導かれた、なりたい自分への道は、それなりに試行錯誤が必要だった。

 私が高校生だった頃、巷では私と同じ世代の女子高生などが「カワイイ」を連発することが流行り、今まで「カワイイ」と形容されなかった素朴な中年男性や、むしろ明確に愛嬌がないような対象にも逆張りのように「カワイイ」が使われたりした(まるで侘び寂びや粋のように知る人ぞ知るというような使い方をされたあたり、日本らしいなと感じる)。とにかくその辺りの時期から「カワイイ」はもてはやされ、使い果たされてきた。そしてついに「カワイイ」は市民権を得、ゆるキャラなど行政の分野にも「カワイイ」は侵食し、しまいには、「カワイイは正義だ」という巷のフレーズにあるように、猫も杓子もなんでも「カワイイ」を標準装備しているようになってしまった(と、私は感じる)。

 「カワイイ」という時、そこには大抵の場合、幼い、華奢、清楚、従順、庇護の対象といったようなイメージも付随し、経験が重なっていかないようなイメージがまとわりつく。日本にいると、特に若い頃は「カワイイ」に触れる機会が本当に多く、その度にこのイメージももれなく無意識にくっついてやってきた。ドンピシャ世代だった私自身も、何万回と「カワイイ」と発し、「カワイイ」のシャワーに自らをさらし続けたが、いつからか私は、雑誌やTVなどのメディアで見る女性像を追いかけると、司馬さんとの心の約束で大切にしようと決めた強さや勇気、頼もしさといったものが全くお呼びでないように感じ、どんどん日本語で書かれたメディアから遠ざかっていった。同時に、「カワイイ」が強いコミュニティでは、自分の心の態度もなんだかお呼びでないように感じ、段々と英語のメディアや文化に触れる機会が増えた。そうして自分に対して強さや成熟を求めることが受け入れられている文化に浸かることで、なんとか自分のためのたのもしさの芽を育んできたつもりできた。

 「カワイイ」との攻防戦もとうの昔に終止符を打ったつもりでいた40代の私は、昨年手術をした。実は手術自体は3度目だったのだが、2度目の手術で傷跡がケロイドになってしまっており、3度目の手術によってまた少し大きな傷跡が体に残ってしまうことや、それが新しくケロイドになってしまうかもしれないということも不安だった。手術の前夜、私は次の手術で新たにできる傷やケロイドを受け入れられる自信がなく、ふと、「ケロイドがまたできるのが不安なので、切開の場所が一緒なら、前回できたケロイドを明日手術の時にとれるだけとってもらうことはできませんか」と話した。すると、女性の主治医はこう答えた。「なるべく綺麗になるようにはしますが、傷跡は勲章ですから。」

 今、21世紀も四半世紀を迎えようとしているが、21世紀に生きる私は、果たして頼もしくなっているだろうか?司馬遼太郎さんが覗きたがっていた21世紀の日本の社会の景色はどうだろうかと、全く確信が持てないできた。しかしその不安は私より若い女性のあっさりとした「勲章」という一言によって心地よく打ち消された。時代物の映画のワンシーンで、酒に酔った屈強な荒くれ者が、話が盛り上がったついでに過去の喧嘩で受けた傷跡を仲間に自慢してみせる、その男の気持ちが分かった。

 それは、私が初めて同じ日本人の女性から強さや頼もしさを当然のことと肯定してもらえた瞬間であった。同時に、私個人の中ではもうとっくに済んだと思っていた「カワイイ」との別れがまだ済んでいなかったことに気付かされた瞬間であり、また頼もしい「私たち」との出会いでもあった。

 それは私にとって、21世紀の日本を初めて司馬さんに見せてあげたいと思った瞬間だった。

理事 湯澤美菜

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